倉敷代官所襲撃を知らせた!?城山稲荷神社の白狐

アイビースクエア「城山稲荷社神社」倉敷市本町

幕末に焼き討ちにあった倉敷代官所。その際、狐が焼き討ちを知らせようとしたという言い伝えの残る稲荷神社が倉敷アイビースクエアの一角にあります。

ツタと赤レンガが印象的な倉敷アイビースクエア。南側にあるのが正門ですが、道路を渡るとハイカラから雰囲気から一転、朱色の鳥居が並ぶ和風な空間が出現します。

神社の敷地はささやかなものですが、城山稲荷神社と言い、もともとは阿智神社のある鶴形山の南にあった城山と呼ばれる丘陵地帯に祀られていた稲荷社です。

城山稲荷社由緒

城山稲荷社の謂れ

古来この付近一帯は城山と呼ばれ戦国時代までは小野ヶ城といふ砦があった。

明応二年(1493年)城主小野好信が伏見稲荷を勧請して祀ったのがこの稲荷の起源であるが、その後、元和五年(1619年)に城山稲荷大明神と命名された。

元来、小野氏の守護神であったが、江戸時代には霊験あらたかな神として、この地の人々の信仰を集めた。
明治21年(1888年)倉敷紡績所建設に際し、向市場町に移転したが、大正3年(1914年)に現在地に再移転して今日に及んでいる。

倉敷アイビースクエアの敷地の一角に、戦国時代まで小野ヶ城というお城がありました。そのお城のあった場所はゆるやかな丘で、城山と呼ばれるようになり、明治になるまで城山稲荷神社がありました。

戦国時代

平安時代に小野ヶ城を建てて以来、小野一族が代々城主をつとめ、小野家の氏神として京都から伏見稲荷社を勧請したものが、城山稲荷神社の起源と言われています。

江戸時代

元和5年(1619年)になると、城山稲荷は正式な社殿が造営されました。これは、付近の山の主と言われた一匹の白狐を祀ったものだと言われています。

そして、寛保3年(1743)年に、庄屋の小野又兵衛は京都の伏見稲荷を勧請して、「最上位城山稲荷大明神」と命名し、立派な社殿を作りました。

この時はまだ倉敷代官所はなく、倉敷陣屋だったのですが、陣屋の代官も同じところに九州から宇佐八幡宮を勧請しています。

稲荷神社は五穀豊穣・商売繁盛を、八幡宮は武運長久を、祈る神様です。

城山稲荷神社へのお供えは、庄屋だった小野家と、代官所が行っていました。

ところで、お稲荷さんにご飯を備える場合は普通赤飯なのですが、城山稲荷の場合、白狐を祀っていたので、白狐にちなんで白いご飯と2枚の油揚げでした。

お供えをするのをさぼったりお供えが遅くなったりすると、白狐は美女に化けて、お供えを催促に行ったそうです。

代官所建物と現在建物の配置関係図

倉敷アイビースクエア西門から入ってすぐのところに倉敷代官所の遺構がありますが、そこにある図面で見ると、もともと稲荷社はホテルの客室棟のあたりにあったようです。

代官所建物図

こちらが、代官所建物図で、左下の木々の中にある赤色の鳥居が城山稲荷神社です。

倉敷アイビースクエアの敷地から言えば、お稲荷さんのあった城山と言っても、それほどの大きさでなかったのでしょう。

城山稲荷の狐にはこんな言い伝えが残っています。

慶応2年(1866年)の4月になったある日、倉敷代官所の役人の家で、しきりに戸を叩く音が聞こえました。
家の者が戸を開けると、そこには白い服を来た大入道が立っていたのです。
びっくりして戸を閉めたのですが、戸の向こうでは大入道のしきりに泣き叫ぶ声が聞こえ続けました。
それからも、毎晩、狐の鳴き声が聞こえました。
これは何か異変があるに違いない、と警戒していました。
そして、その数日後の4月10日の明け方、強い雨の降る中、長州藩からの脱走兵100人を率いていた立石孫一郎により、倉敷代官所は襲撃され、代官所のほとんどが焼き打ちにあいました。

慶応4年(1868年)、廃藩置県により倉敷は倉敷県となり、倉敷代官所も倉敷県庁となりました。

その後、代官は八幡宮を城山稲荷社に合祀しました。

明治時代以後

明治2年(1869年)、代官は庄屋の小野家に阿智神社の神官をまかせて江戸に引き上げました。

それ以来、小野家は代々阿智神社の神官をつとめるようになりましたが、小野家が神官に選ばれたのは、城山稲荷を昔から管理して祀っていたことや長い間庄屋をつとめていたためです。

明治になって倉敷代官所跡には倉敷紡績の工場が建つことになり、向市場町(旧町名)に城山稲荷神社は移転しましたが、大正になって、現在の場所に再移転しました。

アイビースクエアにある城山稲荷神社

アイビースクエア「城山稲荷社」倉敷市本町

阿智神社にある城山稲荷神社

阿智神社「城山稲荷社」倉敷市本町

阿智神社の境内のなか、本殿の後ろにも摂社・末社の一社として城山稲荷社があります。

五穀豊穣と商売繁盛を司るこの城山稲荷社は、現在アイビースクエアの敷地にある城山稲荷社を遷座したものです。

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